今日はゲームボーイ生誕20周年です
今日の日経新聞の「春秋」にこんな記事が載っていました。
京都から東京までの新幹線の車内で、サラリーマンが退屈しのぎに電卓のキーをたたいて遊んでいた。それを見て、液晶で小さなゲーム機を作れないかと思いついた――。任天堂の開発担当者だった横井軍平氏は後にそう述懐している。
京都から東京までの新幹線の車内で、サラリーマンが退屈しのぎに電卓のキーをたたいて遊んでいた。それを見て、液晶で小さなゲーム機を作れないかと思いついた――。任天堂の開発担当者だった横井軍平氏は後にそう述懐している。
▼小さなひらめきが大きな変革につながる。今では通勤電車の大人も下校後の子供も携帯型ゲーム機を手放さない。不況でも「ニンテンドーDS」は世界で年に3000万台も売れる。英語の勉強や家計簿に使う人も増えた。この流れの原点と呼べる製品が横井氏考案の「ゲームボーイ」。20年前のきょうが発売日だ。
▼「枯れた技術の水平思考」。横井氏の商品開発の哲学である。使い古された技術に目をつけ、全く違う使い道を考えるという意味だ。電卓の普及で液晶はありふれた部品になっていた。ゲーム機業界は高性能マシンの開発を競っていた。こんなちっぽけな白黒の新製品が大化けするとは、ほかに誰が想像したろう。
▼外車を乗り回し、ダンスを踊り、気取ってピアノを弾いてみせる。伝説となったゲーム開発者の素顔は、遊び好きのネアカ人間だったそうだ。任天堂を辞めた翌年の1997年、追突事故に巻き込まれ、56歳で亡くなった。みけんにシワを寄せて不景気を嘆く現代の企業人を、天国で笑っているかもしれない。
(日経HPより抜粋)
ゲームボーイ、久しく忘れていました。
私はゲームボーイ直撃世代です。
(日経HPより抜粋)
ゲームボーイ、久しく忘れていました。
私はゲームボーイ直撃世代です。
中学、高校と進むにつれていつの間にかやらなくなり、本体もどこかに行ってしまいそれっきりになりました。
大人になってからDSを手に入れましたが、GBを買ってもらったときほどの感動はありませんでした。
(DSはたまに電源を入れて遊ぶくらいです。特にほしいソフトなどもありません)
大人になってからDSを手に入れましたが、GBを買ってもらったときほどの感動はありませんでした。
(DSはたまに電源を入れて遊ぶくらいです。特にほしいソフトなどもありません)
ゲームボーイもついに20周年ですか…。ちょっとしんみりです。